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言葉とかいう不完全なもの

最近とある人と話して、自分の中で色々思ったこと。

 

他人に何かを伝えたいと思ったとき、言葉で伝えるというのは意外と難しい。いくら言葉を尽くしても何か足りない気がするし、誤解を恐れて言葉を選ぶと本当に伝えたかったことが伝わらない気がする。かといって、言葉以外に何があるのかと言われれば、僕は適切な方法が思い浮かばない。

 

そもそも、言葉というものはひどく不便だ。お互いが同じ言葉を使えないと内容が伝わらないし、言葉にならない、なんて言葉がある時点で説明しきれないことがあることを認めてる。髪の毛を説明するのに「ゆるく三つ編みにした長い髪をうなじの上で巻き上げてまとめている」なんて言われたところで理解するのに何分かかるかわからないし、「濡れ羽色」とか言われたところで疑問符が絶えないだろう。

 

不思議なことだが、言葉で説明されるとき、僕らは本当には理解できていなくても、なぜかなんとなく理解したものとして通り過ぎてしまう。「濡れ羽色」という言葉を与えられたら、あぁ、そういう色なんだ、と次に進んでしまう。自分ではまったく説明できないままに。

 

写真を与えられば、みんなが同じものを目にするはずだ。それに対する印象は異なっても、同じ写真を目にしているということは、同じものが伝わっているはずだ。でも、言葉では伝わらない。同じ言葉を使っていても同じものが伝わらない。

 

考えてみると、言葉は五感ではない。音は五感だけど、音を聞いて言葉として理解するのは別の話だ。見ることは五感だけど、見て文字として認識するのは別の話だ。つまり、言葉を認識するのというのは五感に比べれば、はるかに遅いのだ。

 

必要不要に関わらず、間の工程が一つでも多ければ、変化の可能性が増える。言葉は前提として、そのまま伝わらない可能性を孕んでいる。それなのに、なぜ僕らはこうも言葉で伝えようとするのだろうか。

 

難しいことは分からないけど、こんなにだらだらと文章を書いている時点で、僕が言葉で表現するのが好きなのは間違いないし、その不完全さを含めて言葉を愛そうと思う。伝わりそうで伝わらない何かを表現しようと、少しでも言葉をこねくり回しながら。