出る杭は打たれる、鳴いた雉は打たれる、声をあげた人は叩かれる
焚き火してるときに油かぶってダイブする人はまあ普通はいないので、燃えているところにわざわざつっこみたくはないんですけど。
ネットは誰でも簡単に声をあげることができるようになったけど、それはつまり簡単にたくさんの人のもとに届いてしまうということでもあって。やっぱりなんというか、見なくてもいいものが必要以上に目に入ってしまうんだよなあという感覚です。
だってさ、学校の30人のクラスだって全員が仲良くできるなんてことはそうそうないわけですよ。あの人とあの人は仲が良くて、あの人は挨拶はするくらい、あの人はあんまりよく知らない、あの人は生理的に無理。そういうのがあって当たり前。
それなのにネットの片隅に自分を置いたら何もかも規模が違うわけですよ。ツイッターで身内だけとのやりとりのつもりでした、とかいって自分は相互関係の数十人の世界に生きていても、実際は何十万とか何百万とかの世界にいるわけで。そりゃあね、そりが合わない人はものすごくたくさんいるし、そういう人ほどがしがしと石を投げてくる。
女性だけの町云々も本当はただの住み分けの話なんですよね。どっちが正しいとかじゃなくて、女性だけの世界がいいからそこに住みたいって人がいて、それはそれでいい。逆に男だけの世界に住みたい男もいるはずだし、男女両方がいなきゃ無理って人もいるはずなんだ。
でもなんていうのかな、今までだったら女性だけの町があったらいいよね、なんて話は身内で集まってるときに小さく話すようなことだったんじゃないかな。だって、それを多くの人間の話題とするには多分かなり体力がいるし、理解がどれだけ得られるかは正直怪しい(と思う)。
身内同士でそうだよね、いいよね、で済んだ話がリツイートやいいねで広がって、どうやっても理解を得られない層にたどり着いて、そうなったときにまあボコボコに殴られるのはもうツイッターの仕組み的に仕方ないかなあとも思うんだよね。
喧嘩するのは自由だし、まあ見てる分には楽しいところもあるけど、やる当人は体力とか精神力とか知識とか色々必要だし。そこまでやるほど好きじゃないし、疲れると思うから、お互いに見たくないものは見ないっていうのが楽なんじゃないかなとは。
自分の意見を広く知らしめたいって人は頑張ってそういう風に動けばいいし、誰も止めたりはしない。でも、まあ合わないなと思ったらそっと視界から外すくらいでちょうどいい。
なんか燃えてるなと思ってもわざわざ近づく必要はなくて、遠くから眺めていつか消えるのを待つか、ふたでもして空気をなくすほうが安全じゃないですかね。