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賭博師は祈らない

賭博師は祈らない (電撃文庫)


第23回電撃小説大賞《金賞》受賞作。

 

ところで、ギャンブルと聞いたときにどんなイメージを思い浮かべるだろうか。

熱狂、夢、敗北、運……

僕は、最後の一瞬になるまで分からない状態と、その後に生み出されるたった一つの結果、それがギャンブルらしさなんじゃないかと思う。例えばそれは、競馬で二頭が競り合いながらゴールラインを駆け抜ける瞬間とか、ポーカーでリバーの一枚が開けられる瞬間とか。

 

パチンコもスロットもギャンブルだけど、懸けるレートの問題ではなく、身を焦がすような熱はそこにはないような気がする。そりゃ借金してやれば、そこそこ刺激的にはなるんだろうけど。だって、あれは人間が作り上げた射幸心だ。神様が作り出した運の物語に勝てなくたって仕方ない。

 

さて、この作品は十八世紀末のイギリスの文化を基にした作品だ。色々なギャンブルが生まれ広まったころ。一人の賭博師と一人の奴隷の少女の物語。

 

「どうでもいい」が口癖の賭博師が奴隷の少女と出会って少しずつ変化していく、と書くのは簡単だけど、それじゃあなんも面白くないし本を読めば分かることだ。だから、ここに書くのは少し違う話。

 

賭博師という職業はギャンブルで生計を立てる、ということだ。そもそも、ギャンブルで勝ち続けられるのかと言えば、それ自体は不可能ではない。胴元ではなく、他の客と勝負をすればいいだけだ。そこにあるのは運と実力の世界。 運の要素がどんなに大きくても、実力の要素があるのならば、その積み重ねが勝利と敗北を決める。要は自分より下手な奴を見つければいい。運で上下することはあってもいつかは必ず勝てるし、そこで勝負を終えればいい。

 

この主人公だって基本的にはそうだ。生きてくために必要なのは「負けないこと」、そして稼ぎ続けるために必要なのは目立たないこと。そのために必要なのが「勝たないこと」。ギャンブルは仕事にした瞬間に熱が失われる。そこに感情の起伏はいらない。機械のように同じことを続ければいい。それが間違いのない正解。

 

じゃあ、ギャンブルが熱を持つために必要なのは何か、それでやっと話が最初に戻る。それが熱狂だ。ギャンブルは熱があるから面白い、人と人がお互いの熱をぶつけ合う瞬間が何よりも刺激的だ。ただ、お互いが熱をぶつけるためには、冷静ではいられない。いつだって、最高のギャンブルは狂気の先にある。

 

ギャンブルにはイカサマがつきものだ。でも、イカサマは冷静じゃなくては行えない。つまり、イカサマがある状態ではギャンブルの面白さは出ない。イカサマが崩れてお互いの思惑を外れたとき、理性を狂気が超えて物事が手の届かない場所に行ったとき、やっと突き抜けた興奮を味わえる。

 

人はいつだって、物事が自分の手を離れてどうにもならなくなったら神に祈るしかない。なすがままに与えられる結末を受け入れるだけだ。それでも、ギャンブルなんて論理的に正しくない行為をして、自ら狂気の先に踏み込んで行くのならば、それは神に祈るなんてことをしてはいけない。最後まで自分で責任を取るしかない。そうやって、この作品のタイトルに繋がっていく。

 

ギャンブルなんてまったくもって人に勧めるものではないけど、ギャンブラーの精神性自体はものすごくカッコいいんじゃないかって、まぁ僕は思うわけですよ。

 

ギャンブルなんてまったくわからなくて、人間模様の話として読んでも十分面白いけど、僕自身は一人でもギャンブルに脳味噌焼かれた仲間が増えると嬉しい。知らなくていい刺激だけど、間違いなく病みつきになるから。