ハッピーエンドホリック

好き勝手に幸せを求め続けてたいよね

生きてる人いますか?

有名すぎるセリフなんですけど、実はCROSS†CHANNELやったことないです。

 

あまりにも表に出る頻度が少ないのもあって、久しぶりに連絡した人なんかには「生きてる?」ってよく聞かれます。「最近どう?」とか「今なにしてんの?」の前に「生きてる?」って聞かれます。

 

ちなみに、こう聞かれたときにみんなどう答えるんですかね。個人的には「また死に損なった」とか答えると面白いような気もするんですけど、だいたいは「なんとか生きてるよ」って感じになります。「生きてる!めっちゃ元気!」みたいにはならないかな。

 

時が経つのがはやいとはよく言うけど、本当に不思議なもので、中学からの付き合いの人はもう15年だよ、とか言われると「えっ、まじ?」という感覚しかないですね。別になにかを成し遂げたということもなく、ずるずると気がついたらという感じだけど、終わってみると早かったなあ、ということばかり。

 

ネットの知り合いもいつのまにか知り合って5年以上なんて人もいて、しかもここ2、3年は会ってないなんてことも普通にあって、もう全然わからないよね。

 

きっといろんなことを忘れながら、なにかをきっかけにまた思い出して、そうやって、10年後も変わらぬ付き合いであればと願います。

 

とりあえず、グラブル4周年おめでとう!また少しやる気がもどってきたので、普通に楽しみたいです。今月末でこのブログが1周年で、つまり、元カレ団崩壊からも1年だけど、なんだかんだみんな楽しそうにいろんなゲームやってたりするし、それをTLに眺めるだけでもまあ知り合った意味はあるよね。

安らかな顔で死にたい

死ぬことがずっと怖い。

 

昔から死ぬことを考えるたびに泣いていたような気がする。どんなハッピーエンドの物語でも、最後に主人公が老衰で死ぬような展開だとなんだか悲しい気持ちになってた。

 

100年後の話なんて、どうせ自分は死んでるから関係ないし、どうでもいいじゃんって考え方、すごくうらやましい。そうやって自分が死ぬことをなんでもないように考えることができなかった。

 

自分が死ぬのは辛いし、自分が死んで何も残らないのが辛い。

人々の記憶から消えて、名前も残らなくて、忘れ去られていくのが辛い。

 

多分これは理解されない気がするけど、僕は地学の授業で地球の滅亡や宇宙の滅亡を勉強していたとき、とても苦しかった。いつか人間の存在もなくなって、地球もなくなって、宇宙もなくなると考えるのが辛かった。

 

今、こうやってブログを書いているのも本当は少しだけしんどい。

 

死にたいと口にすることは簡単で、死にたいような気持ちになることは少なからずあって、でも絶対に自分から死のうとはしないだろうなって確信だけはずっとある。

 

生きてるだけで丸儲けなんて話じゃないけど、死ぬのはやっぱり怖くて、だからこそ、何があっても生きるのを選び続けることになるんだろうね。

 

思い残すことなんて何もないよと笑って死ねるまで、頑張って生きます。

 

最後の最後までハッピーエンドを追い求めながら。

仮想通貨と携帯依存

日頃の行いが悪いのか年明けからどうもついてないというか状況が悪いです。

 

まず、bitflyerでbtcfxをちょこちょこ触ってたのですが、まあクソ初心者がろくに勉強もせずにやっているので増えるわけもなく。少しずつお金が減っていって、そろそろちゃんと考え直さないとなあという状況でまさかのハッキングにあいました。

 

bitflyer lightningに少しだけあったお金がbitflyerに移され、bitcoinを購入し送金されるという、いかにもってやつですね。bitflyerに問い合わせても、メールアドレスやパスワードの情報が漏れている可能性がありますので変更をおすすめします。被害については警察にご相談ください、みたいな感じで終わり。まあそういうものだよね、って感じではあるし、僕のセキュリティに対する認識が若干甘かったのも事実なのでこれはもう仕方がないかな。悔しいけどね。

 

で、まあ問い合わせから登録情報の変更関連のやりとりをしてたんですが、人生2度目の携帯紛失をやらかしまして。

 

電車のなかで携帯持ったまま意識が飛び、気がついたら乗り過ごし。意識が戻ると同時に急いで戻るも、手元に携帯はなし、みたいな。多分、座席の上に置き忘れたんだとは思いますが、まあ拾われた相手が悪かったので、どうやら手元には戻らなそう。iphoneを探すで紛失当日は場所を追跡できましたが、電池切れたらどうにもならんしね。仕事ガン無視して追いかければ良かったのかな。明らかにアパートの一室みたいなところに一時存在して、そこに踏み込めば手元に戻る可能性もあったかもね。下手すると警察沙汰になるのが問題なんだけど。結局そこからさらに移動してよくわからない〇〇製作所みたいなところに行ったので分解して部品取りかな。推測でしかないけど。

 

この携帯紛失したタイミングが絶妙で返事してないLINEは溜まってたし、ついでになぜかPCからログインもできないしで、まずダメージをくらう。さらには、bitflyerから登録情報の変更に関する電話がかかってきてたらしいんだけど、まあ携帯がないのでもちろん出られない。しかも、ログインの二段階認証で携帯にSMSを送るようにしていたので、ログインすらできずどうにもならないと。

 

いやあ、流石に笑っちゃったよね。

 

SIMカードは再発行すれば、また同じ番号で使えるとはいえ、そんなに頻繁に携帯のバックアップをとっていたわけでもなく、数ヶ月分のデータは飛ぶと。これさあ、ソシャゲでめちゃくちゃ痛いんだよね。グラブルは問題ないし、アズレンはipadにもダウンロードしてたからまだ助かってるけど。FGOとかあんまり触ってなかったけど復旧できるのかな。

 

あと、LINEね。LINEしか知らん人はもちろん連絡取れないし、新規追加後にバックアップ取ってなくて消えた人は、多分どうにもならんよね。ネットの知り合いなんてのはLINEしか知らない人も結構いたりするし、登録時にID聞くだけだから、一回データが飛ぶとまあ連絡の取りようがない。

 

色々あって携帯が2台あって、なくしたのは主にネット用だったから、仕事で使う番号は手元に残ったおかげでなんとかなったけど、そっちなくしたら仕事に支障出るしでさらに面倒だったよね。

 

携帯をなくしたこと自体で自分自身の生活がめちゃくちゃ問題あるってことはないんだけど、社会の部分は明らかに携帯を必要としていて、普通の会社員とかで携帯ないとだいぶ詰むんだろうなとは改めて思った。

 

あのポケットサイズの機械に人生詰まってるといっても過言でない部分はあるよね。社会との結びつきが弱ければ弱いほど、その分影響は小さくなるけど。

 

慣れすぎると元に戻れなくて、かといって完全に社会との繋がりを断つわけにもいかなくて。より携帯への依存を強めながらなんとか生きていきます。

 

こんだけついてなければギャンブルも勝てないよね。

とりあえず空から100万円くらい降ってこないかな。

バレンタイン古戦場

えーバレンタインですね。

グランくんなら団員からチョコレートもらい放題ですが、僕はグランくんじゃないので今年も自分でチョコレートを買いました。ガチャ40連くらい。

 

 

まあ、そんなことはおいといて、闇古戦場です。

なんと初めて神石を持った状態で古戦場を迎えました。よりによって闇なのが地獄感ハンパないけど。あと、ブルトガングもパラゾニウムもどっちもないし。

とりあえず現状の装備がこんな感じ。

 

 

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プラスをちゃんと移してないとかそもそも武器のレベルが150になってないのが多いとかヘルマニビス無凸とかまあ問題点はわりと多数。あと背水かかってないとマジで火力が出ない。これセレ爪2本はやりすぎなのかなあ。なんなら無凸リボンでも入れた方がダメージ出る可能性もある。計算機叩いてなくて微妙だけど。

 

というか、ハデス編成をまともに使ったことがなくて、これでどれくらい回るのかってのもわからないんだよね。90hellは流石に問題なくても、95hellはどうなのとか、100hell無理じゃない?とか。グラシ2本だとマグナの方が強くない?みたいな話もあるしね。ここらへんは計算機叩くしかないかな。

 

仕事的には少し落ち着いたタイミングで古戦場が来たので、少しはちゃんと走りたいなというかここのところ8万位にも入れてなかったしね。といいつつ、よりによって闇っていう状況だし、明らかにボーダーくっそ高くなる未来しか見えない。手持ちキャラもそんなにいるわけじゃないから選択肢がなくて、リミテッドキャラがいるとすごい楽になるタイプのボスだとかなり苦戦することになりそう。

 

色々様子見つつある程度は楽しみたいかなーと。あと、ハデス3凸フレンド募集してます。バハ4凸でもいいです。

 

 

 

で、下はまあオマケみたいなもの。

 

 

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ケルフェン前のスタレジェでマジでうっかりヴァルナ引きました。で、まあ引いたのはいいんだけど、フィンブル1本しかなくて、なんとか2本目を用意するのが精一杯でした。ミュルが1本あるのだいぶ助かったよね。いやーダマぶっこんでおいてよかった。

 

こっちは本当に仮組みなんでスキレベ含めて全然育ててない感じ。JK琴とかちょくちょく見るけど、どうなんだろ。あとこのままだと二手上限超えてるね。そこはあとで考えるか……

 

デュランダルないけど、ヴィウヘルム入れるのはちょっと、みたいな人が多いらしく、これこのあとどうすんのって気持ちはある。ミュル増やす以外の選択肢は、はっきりいってわからん。まあ古戦場終わったら少しずつスキレベあげていきます。

 

 

気がついたら2月も半ばで頭かかえてるけど、もうすぐグラブルも4周年?だし、気ままに楽しんでいこうね。

「Just Because!」の様式美のようなものが好きだ

そんな青春欲しかったよね

 

比村奇石なのに全然おっぱい感なくてびっくりしたんだけど、それは置いといて。「Just Because!」は設定として特別なことはまったくないんですよね。普通の高校生が普通に青春して、普通に大学生になっていく。中学生のときに同級生だったけど、転校して4年ぶりに戻ってきた泉とか中学からの片思いを引きずってる夏目とか。出てくる部活も野球部に吹奏楽部、陸上部と写真部ってすごくわかるっていうか、つまりその要素自体はほとんど目立たなくてありふれてる。

 

キャラ付けみたいなのって全体的にそんなに強くないような気がして。だからこそ、小さなすれ違いとか感情の動きとかそういう部分に集中できるというか。

 

ホームラン打ったら告白する相馬とかいかにもっぽくないですか?野球部っぽい願掛けですごい好きなんですよね。それに髪形を変えると雰囲気が変わって一気に人気が出る優等生の森川もいい、それっぽい。

 

それで夏目が相馬を好きなことの思い出として出てくるのが消しゴムの話って、「恋と嘘」のときも思ったけど、ど定番入れてきたよね。食パンくわえて曲がり角でぶつかるレベルだと思う。

 

初対面から馴れ馴れしいけど、実は健気で女の子らしさがある小宮とかもう最高じゃないですか。「せんぱいっ!」って感じわかりますかね。小さい「つ」とびっくりマークがつく感じ。バレンタインのときに夏目は買ったチョコレートで小宮が手作りのチョコレートなあたりとか、特に夜に走ってる泉に飲み物渡すためだけに待ってる小宮は可愛すぎるでしょ。それと写真を撮っているときの真剣な表情。あれで好きにならないのはもはやホモ。

 

でも、泉がずっと夏目を好きでそれがちゃんと成就するのはそれはそれですごくいいんですよ。泉と夏目がお互いに相手に合わせて志望校を変えるってのは、少し遠回りなようで、でもずっと秘めた気持ちを口に出さないでいた二人らしくないですか?ずっと泉が夏目を追いかけていて、最後は夏目が泉を追いかけるように同じ大学に進むとか気持ちの矢印が返ってきたなっていう感覚。

 

全体的にどれだけうまくすれ違いを作ってそれをどういう風に見せるかっていうのが大きいんだけど、だからこそ気持ちの揺らぎとか表情の変化とかそういうのがめちゃくちゃ刺さるようにできてますよね。Amazonプライムのレビューにもありますが、7話の夏目が小宮に向かって言う「ダメ……」のセリフは悶絶します。

 

ときメモに毒されたオタクなので桜の下で告白ってだけで満点なんですけど、口元の動きだけを映すってのがいかにもこの作品らしくて、もう素晴らしいよね。受験の合格発表のときの泉と合わせて、ああって息がもれる感じ。

 

「あいつを好きな君の横顔が、たまらなく綺麗だったからーー」ってコピーもいいよね。好きなひとがいるだけで、ひとは変わるんだよっていう恋愛のプラス要素と横顔ってことは相手の視線に自分が入ってないっていう切なさとかそこからこちらに振り向いてもらうためのあれこれとか、なんていうか恋愛したくなるよね。こういうの見るたびに共学の学校に入らなかったの後悔するから、今すぐ中学生からやり直したい。

 

いい感じに心が苦しくなったので、次は「月がきれい」を見ます。

 

出る杭は打たれる、鳴いた雉は打たれる、声をあげた人は叩かれる

焚き火してるときに油かぶってダイブする人はまあ普通はいないので、燃えているところにわざわざつっこみたくはないんですけど。

 

ネットは誰でも簡単に声をあげることができるようになったけど、それはつまり簡単にたくさんの人のもとに届いてしまうということでもあって。やっぱりなんというか、見なくてもいいものが必要以上に目に入ってしまうんだよなあという感覚です。

 

だってさ、学校の30人のクラスだって全員が仲良くできるなんてことはそうそうないわけですよ。あの人とあの人は仲が良くて、あの人は挨拶はするくらい、あの人はあんまりよく知らない、あの人は生理的に無理。そういうのがあって当たり前。

 

それなのにネットの片隅に自分を置いたら何もかも規模が違うわけですよ。ツイッターで身内だけとのやりとりのつもりでした、とかいって自分は相互関係の数十人の世界に生きていても、実際は何十万とか何百万とかの世界にいるわけで。そりゃあね、そりが合わない人はものすごくたくさんいるし、そういう人ほどがしがしと石を投げてくる。

 

女性だけの町云々も本当はただの住み分けの話なんですよね。どっちが正しいとかじゃなくて、女性だけの世界がいいからそこに住みたいって人がいて、それはそれでいい。逆に男だけの世界に住みたい男もいるはずだし、男女両方がいなきゃ無理って人もいるはずなんだ。

 

でもなんていうのかな、今までだったら女性だけの町があったらいいよね、なんて話は身内で集まってるときに小さく話すようなことだったんじゃないかな。だって、それを多くの人間の話題とするには多分かなり体力がいるし、理解がどれだけ得られるかは正直怪しい(と思う)。

 

身内同士でそうだよね、いいよね、で済んだ話がリツイートやいいねで広がって、どうやっても理解を得られない層にたどり着いて、そうなったときにまあボコボコに殴られるのはもうツイッターの仕組み的に仕方ないかなあとも思うんだよね。

 

喧嘩するのは自由だし、まあ見てる分には楽しいところもあるけど、やる当人は体力とか精神力とか知識とか色々必要だし。そこまでやるほど好きじゃないし、疲れると思うから、お互いに見たくないものは見ないっていうのが楽なんじゃないかなとは。

 

自分の意見を広く知らしめたいって人は頑張ってそういう風に動けばいいし、誰も止めたりはしない。でも、まあ合わないなと思ったらそっと視界から外すくらいでちょうどいい。

 

なんか燃えてるなと思ってもわざわざ近づく必要はなくて、遠くから眺めていつか消えるのを待つか、ふたでもして空気をなくすほうが安全じゃないですかね。

思い出はいつもきれいだし、僕たちはみんな別々の人間だ

shiba710.hateblo.jp

 

とりあえずリンクをぶちこんでから始めるんだけど、愛があればなんでも許されてた時代とかみんなが画一的でないといけないようなのはもう終わったんだなって。

 

たとえば、星野仙一さんが亡くなって、あの人の鉄拳制裁とか批判する方向で語る人ってあんまりいないと思うんですけど、あれと同じことが今起こったらやっぱり問題だと思うんですよ。相撲界だって今までしつけと称してがんがん殴ってきたけど、それがパッと表に出てきたら批判だらけなわけ。

 

ある種の生存バイアスみたいなのもあるけど、怒鳴られて叩かれてそれで優勝してきた選手たちが監督を批判するなんてことはできないんですよ。プロだろうがアマチュアだろうが高校生だろうが。その当時どんなに納得できなくても、自分より立場の上の人に反発すること自体が難しいし、ずいぶんと時間が経った後に振り返って成功体験が残ったら、過去のあれこれを否定するのは多分とても難しい。

 

だって、考えてみてくださいよ。「僕らは確かに優勝したけど、あのやり方は間違ってたし、あのころの僕らはただ無駄なことをしていただけだった」とか言われて納得できる人が何人いるんですかね。例えば、「1日10時間勉強したら東大に合格したけど、別にあんなに勉強する必要なかった」って言われても、きっと「あー1日10時間勉強しないと東大には受からないんだ」って感想になると思うんですよ。

 

もし批判する人がいるとしたら、多分その監督の下でうまくいかなかった人なんだろうけど、でもそういうのって単純に失敗した人として切り捨てられがちなのかなって。でもだからこそ、成功から学ぶことは少ない、人は失敗から学ぶ、というかそういう成功できなかった人たちの言葉にも大事なことがあるんじゃないかと。

 

成功者の体験談に価値があるのは数え切れない失敗が前提にあるからで、もし成功しかしてない人がいたら、その体験談から学ぶのはあまりに難しいというか不可能だと思っていて。「イチローが毎年フォームを変える」っていうのが本当かどうかは知らないけど、後追いだけじゃ必ずしも成功しないのはきっと間違いないかなって。

 

 

で、あとなんだっけ。

なんか多様性うんぬんの話も一応しようと考えていた気がする。

 

そうそう、「世界に一つだけの花」って何年か知ってます?2002年らしいんですけど、あれだけひとりひとりの違いを讃える歌が流行ってもう15年以上経ったわけですよ。流石にさ、他人との違いをおもしろおかしくいじるのはどうかって認識がもうみんなにあるんじゃないかって思うんだけど。

 

デブをデブと言えば笑いがおこる、なんてのはもう違うんですよ。ゲイとかオネエとかを出せば、それだけで笑えるみたいなのは今の時代にはないんですよ。そういうなかで10年20年と同じ形でやりつづけて来た一部のバラエティ番組は、もう致命的に今の時代に合わなくなっていると思うわけで。だから、こうやって燃えたり終わったりするのかなと。

 

普通の人と違う人は確かに面白い。それは僕らにとって知らない世界で、新鮮な衝撃を与えてくれるからだ。ただ、それを自分たちと違うから揶揄するように笑うのはおかしくて、あくまでそれ自体を認めたうえで楽しむという流れが必要なんだと思う。僕がツイッターにはびこるご意見番的な風俗嬢とかがあんまり好きでないのは、彼女らが生きている世界は確かに面白いけど、ひたすら客をけなすことで成り立っているからだ。もちろん、客側に問題があることも多々あるのだろうけど、なんか童貞いじりと似たような構図に見えて仕方がなくて、うまくいかないのに歓心を買おうと必死になっているのが見てて辛くなってくるのもあるかもしれない。

 

話が違う方向にいきそうだから終わらせるけど、僕は人と違う道を行く人を応援しています。幸せの形はどうやらとても似ているらしいけれど、だからこそ、人と違う幸せを追いかける人はとても楽しそうで、見てて飽きないんですよね。

 

 

他人との違いを許容しましょう。共通点が多いというのは、簡単に分かり合えるということでとても便利だけど、共通点が少ないほうが手間はかかっても、分かり合えたときは多分ずっと楽しいよ。個性を求めながら、面接にスーツを求める企業って変なんですよ。いろんな人と知り合いたいって言いながら、大卒じゃないと話が通じないとかいう人は変なんですよ。気持ちはどっちも分かるけどね。