ハッピーエンドホリック

好き勝手に幸せを求め続けてたいよね

AV女優とAV男優が同居する話。

 

もうタイトルと表紙だけで買う価値ありません?

 

短編集なので、他にも自意識過剰な女の子とか兄が大好きな妹とかの話もあるんですけど、やっぱり表題が一番かなって思います。

 

 

 

「カメラ回ってない処で金にならないセックスしてどーすんの」ってセリフ、もちろん僕は一生かかっても吐けないセリフなんですけど、そういうの考えたことある人はきっとたくさんいると思うんです。

 

仕事は仕事っていう考えはどんなものにもあります。森博嗣なんかはわりとそちら側の人のはずで、仕事で本は書くけどそれ以外で書こうとは思わないし、そもそも本はあまり読まないとどこかで書いていたように思います。もちろん、すきなことを仕事にしたタイプの人は、仕事でもプライベートでも同じことをやってる人は多いです。イラストレーターなんかは仕事の息抜きに絵を描いてるし、雀荘のメンバーなんてのは休みの日にフリー行ったりセットしたりしてます。

 

とはいえ、セックスが好きでAV女優や風俗嬢になった人はおそらく少数でしょう。お金が欲しくてセックスが嫌いじゃない、ならまだしも、セックスが好きすぎてAV女優になったという話はあまり聞かないというか僕は知りません。そんな存在は多分、地雷認定されるようなしょうもないおっさんの頭の中にしかいないと思います。もしいたら教えてください。その人が仕事としてどんなセックスをするか気になります。

 

それを踏まえたうえで、セックスを仕事にした人でも、プライベートのセックスはあるんですよ。普段お金もらってセックスしてる側の人間が、お金を払ってでもしたいと思うセックスが。その対象が恋人なのかセフレなのか、それともまた違う存在なのかは置いとくとして。仕事じゃなくて、心の底から望んだセックスが。

 

で、やっとタイトルに戻ってくるわけですよ。

AV女優とAV男優が同居したら?

もしお互いを好きになってセックスするとしたら?

 

話としてはすごいシンプルなんですけど、シンプルだからこそ際立つものもあって。初めては特別じゃないですか、だから本当は綺麗な思い出にしたいんだけれど。

 

誰だって売り物にしたくない思い出はきっとあるはずなんだけど、僕自身は最高の恋愛があったとして、きっとそれを物語にして売ってしまうような気がして。

 

なんていうか、業が深いな、と思うのでした。

 

知らなかったものを知ることでしか、成長は出来ないんですよね。

 

 

 

AV女優とAV男優が同居する話。 (アイプロセレクション)
 

 

書くことと直すことと書き直すこと

最近気がついたことなんですけど、自分が書いた文章を直すのと他人が書いた文章を直すのって全然違うんですよね。

 

そんなのとっくの昔から知ってるよって言われるかもしれないけど、僕はこのことに全然気がつかなかったんですよ。他人の文章も自分の文章みたいに直せると思ってた。

 

ところがですね、やってみるとまったくもって別物なんですね。

 

自分の書いた文章って、どういう意図を持ってどういう道筋で書いたかが分かってるから、簡単に削れるんですよ。ここの部分は削っても流れが変わらないとか、ここは絶対に削らないとか、わりと楽に判断がつく。

 

でも、他人の文章ってそれが全然分からないんですよ。読んでみるとなんとなくこんな流れなんだな、で終わってしまう。ここ削っても良さそう、と思って削ってみるとなぜか読んだときにすごい違和感がある。ここなんか説明不足だなって思っても、何を足せばいいのかよく分からない、言葉にできない。

 

だから、他人の文章をさらさらと添削できる人はすごいなって本当に思うようになった。

 

自分の文章ですら、分かってても上手く書き直せないときは間違いなくあって、そんなんだから他人の文章は本当に苦労する。方向性だけでも、と思ってもその方向性すら見えないときがある。

 

考えを文章として表現することが、こんなにも難しいだなんてまったく知りもしなかったけど、それでもその考えてる時間が嫌いじゃないんだよなぁ。

 

物書きの業は本当に深い。

闇古戦場

お疲れ様でした。

予想通りボーダーは全体的に上がり、今回はいまいち走れなかったこともあって40000位にすら入れませんでした。

 

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編成はこんな感じだったのですが、全体的に胡散臭いというか中途半端にもほどがありますね。瀕死になったときは減衰出てたので楽しかったです。

 

ちなみに終わった後に気がついたんですけど、+99の塊が1つ水に付いたままでしたね。これは明らかにもっと早く気がつくべきでした。

 

キャラはシスおらん、オーキスおらん、水ゾおらん、みたいな状況だったので、ゼタ、ナルメア、レディグレイをメインに回してました。サブからジャンヌが出てくるのがわりと火力落ちなくてそこそこ個人的には良かったかな。

 

次回光古戦場は完全なるお荷物なので、役に立ちませんごめんなさい。あと日程次第ではほぼ動かなくて死にます。

 

この写真見て違和感に気がついてください。まぁ要するに完全にサボってたって話です。

 

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少しは頑張りたいですが、できれば土古戦場で会いましょう。

銀と金

 

 

  

籠絡の決め手は彼らがこう理解してほしいという『思い』のとおりに彼らを理解してやることだ

 

 

銀と金はあまりに名セリフが多すぎて選ぶのに迷いますね。全体的には金とギャンブルと悪人に関することがほとんどなんですけど、その中で上記のセリフは人間関係におけるかなり重要な言葉だと思います。

 

僕らはいつも自分の中に理想を持っていて、それを叶えられないことにコンプレックスを感じて、だからこそ認められたがっている。自分の容姿に不満を感じている人がどれだけ「可愛い」「かっこいい」と言われたがっているか、そこのところは実際には本人にしかわかりません。それでも、それを見極めて一番ほしい言葉を与えれる人がいたなら、きっといともたやすくその人の心の中に入れるでしょう。

 

漫画の中にはポーカーとか麻雀とか競馬とか殺人鬼とかが出てきますが、作者の福本先生は特別それについて詳しいわけでないそうです。まあ殺人鬼の心理に関して詳しくても普通に考えたらただの危ない人なんですけど。そういう話は置いといて、素人の方がプロよりうまく書けることは意外とあります。

 

僕はもうずっと麻雀をやり続けているので、逆に麻雀を知らない人に対して説明するとき、どこから説明すればいいのかよくわかりません。日頃も麻雀を知っている人としか麻雀の話をしないので前提は常に共有されています。それは共通の理解がもたらす楽しさや面白さでしかありません。

 

カイジとかもそうですけど、福本漫画はおおよそ心理的なやりとりがメインと言っても問題ないと思います。もちろん、対人のギャンブルというのは全て心理的駆け引きの要素がありますが、その心理的要素をいかに面白く見せるかにこだわったのが銀と金です。ポーカーなんかろくにわからなくてもいい、そこに金というわかりやすい目に見える価値を置いて、心理的なやりとりで勝負のヒリつきや勝ち負けの興奮などのギャンブルの醍醐味を味わわせる。

 

麻雀を知らない人に役満のすごさを説明するのは意外と難しいし、それが成立するかしないかの微妙な部分はもっとわかりにくい。でも、あと一枚が出れば一兆円と言われれば誰でもすごさがわかる。そうやって少しでもうまく読者に読ませる、そういうのがちゃんとできてるんですよね。

 

主人公は貧しいフリーター生活で友人もろくにいないひとりぼっち。たまの競馬で金をスってはイライラするだけ。そんな状態から億単位の金が動き、悪人がはびこる、人間の欲望の世界に入る。漫画が発表された当時より、世の中に閉塞感を覚えている今の人たちの方が刺さるんじゃないかって思います。

 

世の中は悪人だらけで、金だけが正義で、正しさなんてものは誰かの都合にしかすぎなくて、それでも僕らはあがきながら現実の中で生きている。

 

 

夢を見ろ…!

人が生きるってことは夢を見るってことだぜ

それを見なくなったら死人だ……

 

 

たとえどうやっても叶わないような夢でも、現実の腐れ具合に心が折れそうになっても、一人でひっそりと夢を腹のなかに抱えているのが大事かなって。まわりに誰もいなかったとしても、否定され続けて自分を見失っても、ただ一つ夢だけあれば自分を生かしてくれる。そう考えれば、甘ったるくても夢を見るのはやめられないですね。

常識に囚われる

時間がないとかよりも精神的余裕がなくて、さっぱり書けませんでした。

 

ゲームの話は現状の説明みたいなのをだらだら書いていればいつの間にか記事になってて、個人的にはすごい楽なんですけど、本の雑感みたいなのはそこそこ考えること多くて精神的余裕がないとなんかうまく書けないんですよね。多分熱意がほとんど感じられない文書になりそうなので、余裕あるときに読み返しながらしっかり書きたいです。

 

 

人と暮らしていると必ず価値観がぶつかることってあると思うんですが、みなさんはそういうときにどうしていますか。

 

最近はわりと他人のことなんかどうでもいいと思っていて、だから考え方が違ってもそれに対して何か言ったりする必要もないかなと基本的には思ってて。簡単にいえば他人に興味がないって話なんですけど。でも、全ての人に対して興味がないわけじゃないんですよね。

 

日常で付き合いがある人はやはりそれなりの配慮が必要になるし、友達や家族などはなおさらその傾向が強いと思います。誰かれ構わず「お前の意見や考え方に興味がないから好きにすれば」なんて言っていたら、たぶんすぐにひとりぼっちです。それはそれで悪くないとは思うというか、それでもまぁ十分に生活はできます。

 

でも、そうじゃない人の方が多いだろうと思いますが、そうなると考え方がぶつかったとき、価値観のすり合わせ、みたいなものが必要になります。お互いの考え方の違いを確認して、たまには尖った部分を折り曲げたりして、両方が納得できる形にする。それはコミュニケーションで普通に行われていて、なおかつとても大事なことだと思います。

 

ただ、ここで面倒なのは「常識」というものです。正直に言って僕は常識という言葉があまり好きじゃないです。大概の場合、常識という言葉を発するときには、自分の世界を基準に考えていて、「常識的に言えば」なんてのは極端に言えば「自分にとって正しいのはこれで、だからお前の言ってることは間違ってる」くらいの意味だと思います。お互いの理解を求めてるはずなのに、相手の否定から始まるのコミュニケーションとして最悪じゃないですか?

 

人はどうしても自分の世界を基準に考えがちで、長く生きれば生きるほどその世界に囚われてしまって、違う考え方を受け入れられなくなる。これは自戒でもあるけど、話し合いの中でそれは価値観の違いだからどうしょうもないって口にしてしまうのは本当は良くないですよね。それが本当に相手の価値観を認めてお互いの理解に繋がるものならばいいけど、歩み寄りや理解の放棄としてそれを言ってしまうのはやはり避けないといけないかなと思います。

 

全ての枠組みは壊されるべきものであって、常識も個人の考え方の枠組みでしかないわけで、いつだって理解できないものを理解しようとする努力はやめてはいけないですね。

 

 

それでも、きっと余裕がないときは、「価値観の違いだからどうしょうもないね」って言いながら諦めてしまうんだろうなって、そう僕は確信しています。逃げる方が楽だからね、それは仕方ないよね。

タイトルについて

単語なのか文章なのか、それが問題かなと。

 

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これは僕が今ブログを書いているときのはてなブログのトップページなんですけど、ブログのタイトルってやっぱりそれなりの長さがあるんですよね。ランキングとかを見ると特に顕著だと思います。

 

最近のネットニュースやまとめサイトとかもわりと長めの文章のタイトル、それも煽り気味のものをつけて読ませようという傾向が強い気がしますね。集客としてはとても正しいと思います。

 

雑誌とかだと見出しがあって、リードがあってとか色々あるんですけど、ネット記事の場合はタイトルがキャッチとして全てを担うことになってて、その影響で長さを持った説明的な文章になりやすくなってるのかなと。

 

例えば、僕は現状ブログの記事のタイトルがとても短いんですけど、これは本当のことを言えば人を呼び寄せる点では間違ってるんですよね。何か本を読んでその感想を書くとして、本のタイトルしか書いてなかったら、その本を知ってる人とそのブログを読んでる人しか読まないわけですよ。もともとそのブログを知らない、その本も知らない人が興味を惹かれて読んでみようかなって思うためにはタイトルはそれなりのキャッチ性がある文章でなければいけない。ここらへん、ネットのライターとかは多分かなり気にしてるはずだと思います。「〇〇してはいけない5つの理由」みたいなタイトルが溢れてるのもそのせいだと思います。否定と数字での印象付け、分かりやすいですよね。

 

ただ、本の紹介の場合はやっぱりタイトルを入れたいかなって思うんですよね。これは検索を意識した場合とかに特に大きいのと、パッと見で内容が分かりやすいのがいいなぁと。で、それを考えると、説明の一文と本のタイトルをまとめて記事のタイトルにするのがいいよねって話になるんだけど、それだと長くなりやすいのと個人的にはあんまりかっこよくないなぁと思って迷ってます。作品を読んだことのある人を意識するのか読んだことのない人を意識するのかがポイントかもしれないですね。

 

 

そのうちタイトルのつけ方が変わってたら、この記事を思い出してくれると少しだけ嬉しいかなと思います。まぁ、何事も実験ですかね。

一ヶ月メモ

別に大したことは何もないです。

 

一応ブログを初めて一ヶ月らしくて、振り返りのメモを残そうかなと思った。といっても、書く頻度はわりと適当というか随分バラバラで結構間が空くこともあって、本当はもう少し書くつもりだったような気もする。

 

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アクセス解析を見てたんですけど、開設初日が完全に飛び抜けててもう笑うしかないんですよね。そのうちこの数字を超えたいなとは思うけど、さていつになったら達成できるのやら。

 

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ついでにゼタの元カレ団で検索すると三番目に出てくるっていうね。桶狭間の時は僕はまだ元カレ団にいなかったし、みつばさんはもう消えたしで、個人的にはなかなか味わい深い検索結果です。

 

 

ブログを書いていると昔mixiで長文日記を書いていた黒歴史を思い出すんですが、書いていた当時は何も思わなかったはずだし、このブログも今普通に書いていてもそのうち思い出すのも辛い何かになるのかもしれません。それでも文章を書くこと自体はそれなりに楽しくて、星がつけばちょっと嬉しい、そんなことを考えながらだらだらとブログを書いていくんだろうな、とは思います。

 

この前のクズの本懐の記事とか多分書くのに1時間くらいかかってそうなんですけど、お金が出るわけでもないのにそれだけの時間費やして、しかも2000文字も文章書いてるのってすごくないですか。どういう思考回路してるんでしょうかね、多分楽しいと思ってやってるんでしょうけど。

 

1人でも10人でも読んでくれる誰かのために、とかっこいいこと言いながら、ただただ自己満足と承認欲求のためにブログを書く。僕はそれくらいでちょうどいいのかなって思ってます。