ハッピーエンドホリック

好き勝手に幸せを求め続けてたいよね

86 ーエイティシックスー

86―エイティシックス― (電撃文庫)


ガーターベルトっていいですよね、発明した人に最大限の賞賛を送ってもいいと思います。あんなえっちなもの思いつくのは天才ですよ。

 

第23回電撃小説大賞大賞受賞作。

 

メカとボーイミーツガールとディストピア。あとがきにこう説明されるわけだけど、間違いはないだろう。この作品は、とにかく設定がうまい。機械の帝国に敗北する人間たち。人種差別を行わずにはいられない人間の醜さ。そして、伏線の張り方が綺麗だ。だから違和感なく最後まで読み進められるし、しっかりとひっくり返される。

 

僕は、屁理屈みたいな理屈と言葉遊びが好きだ。描写は少し長いくらいでいいし、詭弁のようか物言いが面白いと思う。無口で冷徹でどこか壊れたような少年と世間知らずでお人好しで甘さが目立つ少女。腐りきった愚かな大人。みんながみんなうまく絡み合って、それだからこそ会話が心地よく感じられる。

 

絶望と希望は表裏一体。使い古された、よくある言葉だけど、しっかり納得できるんじゃないかな。最高の死に様を迎えるために、最後まで諦めないで生きる美しさ。僕は熱い人間が見せる冷めた部分より、冷めた人間が見せる熱い部分の方が好きなんだけど、さてみなさんはどうだろうか。

 

あんまりネタバレになるのももったい無いので、深くは語らないけど、しっかりハッピーエンドだから安心して読んで欲しい。成長はいつだって素晴らしいものだ。それが泥に塗れ、血に濡れ、痛みを伴うものならば、なおさら素晴らしいと思う。

騎空団を移籍しました

元カレ団を退団し、ファーレンハイトに入団しました。

 

通算で5つ目の騎空団ですね。前回の移籍はシードからノーシードでしたが、今回はシードシードからノーシードというなかなかのもの。次はどうなるんでしょうか。

 

元カレ団を抜けたのは、簡単に言えば、思い入れが強すぎたということに尽きます。本当は細かい色々が合わさっているけど、それを説明するのはなんかいまいちな気がするのでとくには言いません。在籍中は52勝3敗とか?大変お世話になりました。

 

新しい団はファーレンハイトなんですが、これは銀英伝なのかそれとも別の何かなんですかね?実は華氏ですとか言われたら、多分どうやって反応すればいいのか分からないと思う。でも、語感優先で深く考えずに決めてそう。めちゃくちゃ失礼だけど。

 

今回の団活はツイッターグラブル団員募集掲示板でやってたんですけど、ツイッターで声をかけてくれたのが一人、掲示板で声をかけてくれたのが九人とまぁ驚くほど差が出ました。多分市場の問題なんだけど、掲示板ではポエムのことを書かなかったのでそのせいかもしれません。たぶんそう。

 

最後に自分の装備状況を一応載せておこうと思います。このブログを読んでるかもしれない団員と後で自分が成長を知るために。

 

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言葉とかいう不完全なもの

最近とある人と話して、自分の中で色々思ったこと。

 

他人に何かを伝えたいと思ったとき、言葉で伝えるというのは意外と難しい。いくら言葉を尽くしても何か足りない気がするし、誤解を恐れて言葉を選ぶと本当に伝えたかったことが伝わらない気がする。かといって、言葉以外に何があるのかと言われれば、僕は適切な方法が思い浮かばない。

 

そもそも、言葉というものはひどく不便だ。お互いが同じ言葉を使えないと内容が伝わらないし、言葉にならない、なんて言葉がある時点で説明しきれないことがあることを認めてる。髪の毛を説明するのに「ゆるく三つ編みにした長い髪をうなじの上で巻き上げてまとめている」なんて言われたところで理解するのに何分かかるかわからないし、「濡れ羽色」とか言われたところで疑問符が絶えないだろう。

 

不思議なことだが、言葉で説明されるとき、僕らは本当には理解できていなくても、なぜかなんとなく理解したものとして通り過ぎてしまう。「濡れ羽色」という言葉を与えられたら、あぁ、そういう色なんだ、と次に進んでしまう。自分ではまったく説明できないままに。

 

写真を与えられば、みんなが同じものを目にするはずだ。それに対する印象は異なっても、同じ写真を目にしているということは、同じものが伝わっているはずだ。でも、言葉では伝わらない。同じ言葉を使っていても同じものが伝わらない。

 

考えてみると、言葉は五感ではない。音は五感だけど、音を聞いて言葉として理解するのは別の話だ。見ることは五感だけど、見て文字として認識するのは別の話だ。つまり、言葉を認識するのというのは五感に比べれば、はるかに遅いのだ。

 

必要不要に関わらず、間の工程が一つでも多ければ、変化の可能性が増える。言葉は前提として、そのまま伝わらない可能性を孕んでいる。それなのに、なぜ僕らはこうも言葉で伝えようとするのだろうか。

 

難しいことは分からないけど、こんなにだらだらと文章を書いている時点で、僕が言葉で表現するのが好きなのは間違いないし、その不完全さを含めて言葉を愛そうと思う。伝わりそうで伝わらない何かを表現しようと、少しでも言葉をこねくり回しながら。

賭博師は祈らない

賭博師は祈らない (電撃文庫)


第23回電撃小説大賞《金賞》受賞作。

 

ところで、ギャンブルと聞いたときにどんなイメージを思い浮かべるだろうか。

熱狂、夢、敗北、運……

僕は、最後の一瞬になるまで分からない状態と、その後に生み出されるたった一つの結果、それがギャンブルらしさなんじゃないかと思う。例えばそれは、競馬で二頭が競り合いながらゴールラインを駆け抜ける瞬間とか、ポーカーでリバーの一枚が開けられる瞬間とか。

 

パチンコもスロットもギャンブルだけど、懸けるレートの問題ではなく、身を焦がすような熱はそこにはないような気がする。そりゃ借金してやれば、そこそこ刺激的にはなるんだろうけど。だって、あれは人間が作り上げた射幸心だ。神様が作り出した運の物語に勝てなくたって仕方ない。

 

さて、この作品は十八世紀末のイギリスの文化を基にした作品だ。色々なギャンブルが生まれ広まったころ。一人の賭博師と一人の奴隷の少女の物語。

 

「どうでもいい」が口癖の賭博師が奴隷の少女と出会って少しずつ変化していく、と書くのは簡単だけど、それじゃあなんも面白くないし本を読めば分かることだ。だから、ここに書くのは少し違う話。

 

賭博師という職業はギャンブルで生計を立てる、ということだ。そもそも、ギャンブルで勝ち続けられるのかと言えば、それ自体は不可能ではない。胴元ではなく、他の客と勝負をすればいいだけだ。そこにあるのは運と実力の世界。 運の要素がどんなに大きくても、実力の要素があるのならば、その積み重ねが勝利と敗北を決める。要は自分より下手な奴を見つければいい。運で上下することはあってもいつかは必ず勝てるし、そこで勝負を終えればいい。

 

この主人公だって基本的にはそうだ。生きてくために必要なのは「負けないこと」、そして稼ぎ続けるために必要なのは目立たないこと。そのために必要なのが「勝たないこと」。ギャンブルは仕事にした瞬間に熱が失われる。そこに感情の起伏はいらない。機械のように同じことを続ければいい。それが間違いのない正解。

 

じゃあ、ギャンブルが熱を持つために必要なのは何か、それでやっと話が最初に戻る。それが熱狂だ。ギャンブルは熱があるから面白い、人と人がお互いの熱をぶつけ合う瞬間が何よりも刺激的だ。ただ、お互いが熱をぶつけるためには、冷静ではいられない。いつだって、最高のギャンブルは狂気の先にある。

 

ギャンブルにはイカサマがつきものだ。でも、イカサマは冷静じゃなくては行えない。つまり、イカサマがある状態ではギャンブルの面白さは出ない。イカサマが崩れてお互いの思惑を外れたとき、理性を狂気が超えて物事が手の届かない場所に行ったとき、やっと突き抜けた興奮を味わえる。

 

人はいつだって、物事が自分の手を離れてどうにもならなくなったら神に祈るしかない。なすがままに与えられる結末を受け入れるだけだ。それでも、ギャンブルなんて論理的に正しくない行為をして、自ら狂気の先に踏み込んで行くのならば、それは神に祈るなんてことをしてはいけない。最後まで自分で責任を取るしかない。そうやって、この作品のタイトルに繋がっていく。

 

ギャンブルなんてまったくもって人に勧めるものではないけど、ギャンブラーの精神性自体はものすごくカッコいいんじゃないかって、まぁ僕は思うわけですよ。

 

ギャンブルなんてまったくわからなくて、人間模様の話として読んでも十分面白いけど、僕自身は一人でもギャンブルに脳味噌焼かれた仲間が増えると嬉しい。知らなくていい刺激だけど、間違いなく病みつきになるから。

ゼタの元カレ団

グランブルーファンタジーの話。

 

僕はわりと色々なことをとりあえずやってみるタイプで、もちろん続いたり続かなかったりするんだけど、実はソシャゲはあまり続かない。アンインストールこそしてないけど、デレステもモンストもある程度課金した割には今は全然やっていない。ネトゲもやったことはあるけど、半年だって続いた記憶はない。そう考えれば、1年半以上ほぼ毎日続いてるグラブルは僕にとっては、もはや例外と言っていいのかもしれない。

 

あのころ僕がモンストに飽きていたのかは確かではないけれど、あれほどソシャゲはやらないと言っていたみつばさんが、一気にグラブルにハマっていくのを見て僕もグラブルを始めた。実は登録だけして2週間くらい放置していたので、もしかしたらIDはみつばさんより早いのかもしれない。ちゃんとグラブルをやり始めるにあたって、僕はゴリラと損おじをフォローして、まぁだから多分そこからゼタの元カレ団への憧れが始まったんだと思う。

 

そもそもの話、ゼタの元カレ団は身内団だ。ツイッターのアルファたち(この表現は必ずしも正しくはないかもしれない)が中心になって集まった団で、全体の雰囲気としては比較的緩かったと思う。はたから見て、それは身内同士の親しさと空気があって、でもそれが間違いなく楽しく見えた。古戦場での勝率が上がるにつれ、団員の入れ替わりが増えたのは確かだ。それでも1ヶ月ランクがまったく動かない、みたいなことがなければ解雇もあまりなかったと思うけれど。

 

団員の入れ替わり自体は仕方ないことだし、当たり前のことだ。他でどんなに走っても勝てなかった経験をした人がいて、ゼタの元カレ団では走ればしっかり勝つことができた。勝てば勲章がもらえて、勲章がたまれば金剛石と交換できた。それはもちろん嬉しいことであって、何も悪くはないのだけれど、勝つのが当たり前になって、みんなが走るのが当たり前になって、少しだけ雰囲気が変わったのかもしれない。走れない人や貢献度が低い人の負い目が増えるとかそういう意味で。

 

やるからには勝ちたいとか、勝つために強化を頑張りたいとか、そういうのは何も間違ってなくて、ただ、マイナスのことに対する許容値がなんとなく小さくなったんじゃないかって気がする。身内でわいわいやって、負けても悔しいけどしょうがないねーって笑ってすまなくなったような。僕が入る頃からそうだったかもしれないし、そもそも最初からそうだったかもしれないし、まったくの見当はずれかもしれないことだけど。

 

僕自身はなんで古参組が抜けることになったのかを本質的にはまったく理解してなくて、それは僕が彼らと個人的にはそれほど親しいわけではなかったのもある。だから全部想像で書いてるんだけど、なにかしら今の元カレ団の空気に違和感があったのかな、とだけ思っている。

 

僕は正直集団に属するのがあまり得意ではなくて、だから騎空団なんていう30人もの集団に1年以上いるのはそれなりにすごいことだなぁと思っている。今だって、本当に馴染めてんのかおまえって言われたら、馴染めてないんだろうなぁとしか返せないんだろうけど、居心地が良かったからこそ今までいたわけで、だから僕自身はゼタの元カレ団がすごい好きだ。古参組が通話してるのTLで眺めて、楽しそうだな、参加してみたいなと思いつつ、自分から入れてよと口に出すわけでもない。それが僕の人付き合いだったし、他の人たちとの距離感だった。グラブル以外でPS4とかで一緒に何かやれたら少しは違ったのかもしれないけど。でも、そういうの含めてゼタの元カレ団が好きだ。

 

感覚の違いがなかったわけじゃない。組長と美紅さんのあれに関しては正直やりすぎだったと思ってる。結局煽る方向に回ったから何も言えないけど。ただ、みつばさんのスタンスを否定するつもりはないし、付き合っていたとしても、ゼタの元カレ団というくくりのオフでその関係があまり分からないようにするべきだったんじゃないかとは思っている。別にくっつくのは自由だけど、団員同士のオフでそこだけ彼氏彼女するなよ、みたいなのはある。まあでもみつばさんは気がつかなかったんだっけ。これに関してはゴレ子さんが火をつけたのが原因かな。分かってて燃やしたんだろうし、気に入らなかったってことなんだろうけど。未だにゴレ子さんは全然どんな人なのかつかめない。

 

なんだっけ、話がそれた気がする。そうだ、今回の古戦場中にこれが終わったら5人くらい団員が抜けるかな、とは思っていた。明らかにゴリラは抜けるつもりだったし、うじさんも抜けると言っていた。それらを含めて5人くらい抜けるとして、でも、それならなんとかゼタの元カレ団は続くかな、と思っていた。5人ならなんとか募集できなくもないだろうし、新しい人と一緒にやれるだろうと。でも、よく考えたらゼタの元カレ団は身内団なんだよね。身内団っていうのは本当は代替不可能で、だから中核が5人も抜けたらそれは崩壊しかないんだよね。だってそこは、エンジンに等しい場所だから。その意味で僕はずっとゴリラに団長をやってほしくて、ゴリラが団長をやめた時点で少しだけ何かが壊れた感覚があった。今団員の約半分は抜けることになっていて、じゃあ再建するために新しく10数人入れるとして、それは多分もうゼタの元カレ団じゃなくなってしまうと思う。枯れた温泉にいくらお湯を注いでも、元には戻らない。

 

きっと彼らが抜けようとしたタイミングは他にいくらでもあって、多分今回シードシードを取り直したからそれを残して抜けようという話になったと思うんだけど、そのことすらもやもやする自分がいて。今の元カレ団は全体として仲良くまとまっているわけではなかったかもしれないけど、なんかもう少し違うやり方があったんじゃないかとか。まあ好きなこと自由に言えるのがネットだということで許してくださいな。今現在、再建のための話し合いが行われているんだけど、ゼタの元カレ団という名前を一度捨てた方がいいのかなと個人的には思っている。そうすれば、ゼタの元カレ団の名前の下にまたみんなが集まることがあるかもしれない。もちろん、今だって元元カレたちの受け皿として機能することに意味はあるんだけど、なんとなくもう元に戻らないような気がしてる。まあ自分の行く道はこれから考えます。

 

とりあえず人付き合いというか立ち回り、考え直したいですね。